知をひらく人たち第5回「湯川秀樹」イベントレポート
北川フラムの対談シリーズ「知をひらく人たち」第5回は、戦後間もない1949年、日本初のノーベル賞受賞者となった物理学者・湯川秀樹をめぐり、複雑系研究者の池上高志さんをゲストに迎えて行われた。
最初に北川さんから、「湯川秀樹という存在を初めて意識したのは、〝世界平和アピール7人委員会″に湯川さんの名前を見た時。その後、『本の中の世界』などを読み、現場での体験を通して〝実在″を〝認識″すると考えていた文系の自分とは違い、最初から〝実在″と〝認識″を分けて考える人の存在を知った」と自らの湯川秀樹体験が語られた。
それを受けて池上さんは、湯川さんに会ったこともなく、素粒子理論とはまったく異なる複雑系を研究する自分が、今回のセミナーの出演依頼を受け、『天才の世界』を課題図書に選んだ理由は、①天才性と創造性を考えたいと思ったこと ②空海について話したかったこと ③京都大学の基礎物理研究所(略称:基研/湯川記念館)に在籍していたこと、であると語り始めた。
<基研が複雑系の研究の道をひらく>
東大を出た池上さんは、基研に入り、東京とはまったく異なる「大学の街」京都の環境に驚いたという。基研は交流機関で、世界中から研究者が集まり、「それはなにか、ごつごつしたところがある」と言って新しいものを面白がる湯川さんがつくった自由な気風が残っていた。池上さんはそこで益川敏英教授にすすめられて複雑系の研究に進むことになる。
「当時は科学がまだ、わずかなデータからモデルを構想する〝ロマンチックな時代″だった。でも、2008年を境に科学は膨大なデータの詳細性を語る〝アカデミックな時代″へと転換し、科学から哲学が切り捨てられていった。理論物理学とはものの考え方の学問なのに、今はデータが多すぎて、ものの見方がわからなくなっている」と池上さんは語った。
次いで、湯川さんの中間子論について説明があり(これは、正直、まったくわからなかったが、17、8歳の頃、「統一場理論」に心躍らせたと語る池上さんのときめきは伝わってきた)、いよいよ話題は『天才の世界』でとりあげられている天才たちへ。北川さんとの対話が始まった。
<天才とは、あってほしい世界を強烈に願望できる人>
「空海についてどう思うか」と問われた北川さんは、「空海は自分の経験・考えのなかで中国から伝わった仏教を理解しようとし、それを読み違える(誤読する)ことで、彼の仏教を成立させた。空海は〝あってほしい世界″を強烈に願望し、それを曼荼羅として描いた」と答え、「天才とは、あってほしい世界を思い描ける人ではないか」と述べた。
さらに「アーティストにおける天才の条件とは何か」という問いに、「たとえば定朝は、本当にいい仏像をつくろうとした時、それまでの木の聖性を重視した仏像のつくり方に対して、寄木造という革命的な方法を生み出した。従来のやり方の延長でものを考える必要はない。現代美術もこれまでは欧米の美術が主流だったが、それはあくまでも美術のひとつに過ぎず、それ以外の美術があってもいい。大地の芸術祭を構想した時に思ったのは、これまでの欧米中心の美術の延長で考える必要はない、ということだった」。そして、「アーティストはまだ本当に面白い作品をやれていない。神護寺の薬師如来を見た時、5時間が一瞬だったという経験がある。それくらいの作品をつくってほしい」と檄を飛ばし、夢見る力の大きさを強調した。
池上さんも、『天才の世界』に登場するニュートンが錬金術に熱中したのは、現実に見える世界とは違う世界を見ようとしていたからではないか、天才とは実証の果てに答えを見つける人ではなく、すでに答えがわかっている人、最終的なイメージをもっている人ではないかと述べた。
<長いスパンで構想する力>
話題は、数学者・岡潔から、カオス理論のロバート・ショウ、量子コンピューターの概念をつくったデイヴィッド・ドイッチュ、ブライアン・イーノとダニエル・ヒルズによる1万年間とまらない時計やジェームズ・タレルのローデン・クレーターなど、様々に広がった。北川さんはまた、自分が見たい風景をつくるために、ひたすらドローイングを描き続け、プロジェクトが完成した暁にクリストがつぶやいた「ドローイングと同じだ」という言葉を紹介し、再びアーティストに「長い時間をかけて構想し、本当に面白いサイトスペシフィックな作品をつくってほしい」と呼びかけた。
最後に北川さんは、自分が好きな天才とは、クロポトキンのように世界に対して個が対応している人であり、博物誌的な知のあり方こそが今、求められているのではないか、と述べた。
湯川秀樹の「天才性と創造性」という問いから導きだされた「あってほしい世界を願望する力」「世界や宇宙の像を思考するロマンチシズム」――それを体現するかのような二人による、刺激的で密度の濃い、あっという間の1時間半であった。