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ヒルサイドテラスに関わる人物のご紹介や歴史など
写真や文章を交えご紹介しています。

RELAY ESSAY

クラブヒルサイドのネットワークに連なる方々が、それぞれの現場・地域で思うことを折々に綴るリレーエッセイです。

No.1

2011.05.25

ヒルサイドテラスと都市 現代のコミュニティについて考える

槇 文彦

1928年東京都生まれ。建築家。1952 年東京大学工学部建築学科卒業。クランブルック・アカデミー・オブ・アーツおよびハーバード大学大学院修士課程修了。その後ワシントン大学、ハーバード大学で教鞭をとる。1958年にグラハム基金受賞。1965年槇総合計画事務所設立、現在に至る。計画着手から完成まで30年の歳月をかけて建てられた代官山集合住居計画(ヒルサイドテラス)は、類い稀なるまちづくりとして世界に名高い。主な作品に名古屋大学豊田講堂、ヒルサイドテラス、スパイラル、幕張メッセ、東京体育館等。レイノルズ賞、プリツカー賞、プリンスオブウェールズ都市デザイン賞、高松宮殿下記念世界文化賞、日本建築学会大賞、AIAゴールドメダル受賞。著作に『見えがくれする都市』『槇文彦』(全4巻)『ヒルサイドテラス/ウエストの世界』(以上、鹿島出版会)、『未完の形象』(求龍堂)、『記憶の形象』(筑摩書房)、『Nurturing Dreams』(The MIT Press)など。

 今でも世界に存在する所謂‘コミュニティ’は一種の地縁社会である場合が多い。近代まで多くの地縁社会は同じ場所で同じ家族が物を作り、商いを営み続ける事により極めて安定したかたちで維持されてきた。彼等にとっても、それは当然の現実であった。周知のように資本主義社会は特に都会において、その安定した地縁社会の構図の崩壊を促進した。我々東京の様な大都会に住むものにとって、コミュニティとはそれぞれが自己責任において求め、探し、時にはつくり上げなければならないものになった。しかし一度みつけたコミュニティでも昔の様に同じ姿が永続する保証はないし、また一家の主に会社から転勤命令が出ればどんなに気に入っていても、そこを去らなければならない。そして東日本大震災のように長年営々と構築してきたコミュニティが一瞬のうちに消滅してしまうという苛酷な現実も我々は経験しているのだ。

 コミュニティとは何かは現代社会に与えられた重い課題の一つに違いない。その中で広井良典の‘コミュニティを問いなおす’*は様々な観点からこの課題を分析した最近の好著である。その中で‘人間なるもの’という普遍的な観点は出会い特に他者との相違を感じながら、そうした違いを超えてある共通の何かを異なる個人、或いは共同体から発見され、到達し得るものだという指摘は重要である。
 恐らくこれからの社会においても嘗ての地縁社会を超えた様々な新しいかたちのコミュニティが形成され、或いは消滅していく事は想像に難くない。しかしどのような形のコミュニティであれ、広井の指摘する‘個々の共同体を超えた人間’の存在がその中核に存在し続ける事は間違いない。

 現在東京の様な大都市において様々な形のコミュニティが存在する。谷中をはじめヒルサイド・テラスを中心にしたこのささやかな地域もその中に含めてよいだろう。しかしこうしたコミュニティを維持していく為にはそこに不断の努力がなされなければならないのだ。一時都市とは耕(カルティヴェイト)していくものだという考え方が提唱された事がある。それは農産物のように1年を通じて絶えざる努力が必要なものではないかということを示唆している。

 インターネットの世界は普遍的な人間の存在を核にしながらも、時間と空間を超えた新しいコミュニティを形成しつつあるのも事実である。しかし歴史よりも地理が、時間よりも空間がそうした人間と人間の関係の深化、つまり個人や文化の内的な発展に寄与するところが多いという説もまた事実である。

 建築家である私にとって、こうした様々な我々をとりまくコミュニティ形成の為の諸現象に思いを馳せながら、日常的な仕事である眼前にある都市や建築の中にどのような魅力のある‘場所’ひいてはコミュニティを構築したらよいかという事を考え続けている。