新津保建秀写真スクール「見えないものを撮る」 第5回〈「匂い」を撮る〉 ゲスト:皆川明
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毎回、異なるテーマのもとに受講者が撮ってきた写真をめぐり、多様な分野の第一人者をゲストに迎え、 ディスカッション形式で講座を展開します。夏には「大地の芸術祭」の里、越後妻有で合宿形式のワークショップも行い、 講座終了時には、全講座の成果を発表する展覧会を代官山のヒルサイドテラス内、ヒルサイドフォーラムにおいて開催します。
展覧会では、写真・美術・カルチャー・広告等の雑誌編集長によるレビューを実施し、年齢を問わない、新しい才能の発掘の場となることを目指します。
11月12日は、ゲストにファッションデザイナー、「minä perhonen」代表の皆川明さんをお迎えし、ディスカッション形式で写真講座を展開します。
日時 | 2011年11月12日(土) 14:00-17:00 |
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会場 | ヒルサイドテラス アネックスB棟(東京都渋谷区猿楽町30-2) |
定員 | 25名 |
受講料 | 一般6万円 クラブヒルサイド会員5万円 学生5万円 ※第4回 1泊2日の宿泊費【朝夕食付】 終了レビュー参加費含む |
主催 | クラブヒルサイド |
協力 | 代官山スタジオ |
登壇者・講演者
新津保建秀
1968年生まれ。写真と映像による作品制作を行う。数多くの企業広告、音楽、映画、文藝、ファッション、建築の写真を手がけ、 異分野のクリエーターとの共同作業も多い。昨年手がけたものとして、日本郵便年賀状キャンペーンポスター、 「きこえる?School & Music」(文藝春秋/東京大学知の構造化センター pingpong project)など。 写真集に『記憶』(FOIL)、『夏*』(マドラ出版)、『Rugged TimeScape』(FOIL)。関連書籍に『建築と写真の現在』(TNプローブ)がある。
皆川明
1967年生まれ。デザイナー。1995年に自身のファッションブランド「minä(2003年よりminä perhonenに改名)」設立。国内外の生地産地と連携してオリジナルデザインの生地による服作りを進め、高い評価を受ける。国内外で展覧会開催。今春『minä perhonen?』(ビー・エヌ・エヌ新社)刊行。
関連シリーズ
新津保建秀写真スクール「見えないものを撮る」
ケハイ、音、時間、匂い、言葉…。視覚のメディアである写真は「目に見えないもの」をいかに写し撮ることができるのでしょうか。 異分野のクリエーターとのコラボレーションを始め、今もっともその活動が注目される写真家のひとり、新津保建秀が初めて取り組む写真講座シリーズが2011年5月スタートします。
毎回、異なるテーマのもとに受講者が撮ってきた写真をめぐり、多様な分野の第一人者をゲストに迎え、 ディスカッション形式で講座を展開します。夏には「大地の芸術祭」の里、越後妻有で合宿形式のワークショップも行い、 講座終了時には、全講座の成果を発表する展覧会を代官山のヒルサイドテラス内、ヒルサイドフォーラムにおいて開催します。
展覧会では、写真・美術・カルチャー・広告等の雑誌編集長によるレビューを実施し、年齢を問わない、新しい才能の発掘の場となることを目指します。
イベントレポート



ゲストは、自らのブランド「ミナ・ペルホネン」において、ファッションから家具、器まで、幅広いデザイン活動を展開するデザイナーの皆川明さんです。五感のなかで最も生理的な感覚につながる「匂い」をテーマに皆川さんが出された課題は、「生命の匂い」。暗闇・透明・ケモノ・気配・存在…といった正と負のイメージをそれぞれ持った単語がちりばめられた皆川さんによる詩を受けて、1枚の写真を提出するというものでした。
肌の匂い、若さの匂い、都会の夜の匂い、生活の匂い、死の匂い、血の匂い、性の匂い、季節の匂い――これまでの課題が、比較的論理を要求するものであったのに対し、今回は直観的に撮った作品、無意識や偶然性に委ねて撮った作品が多くみられました。その一方、「匂いとは何か」を論理的に突き詰めて果敢に追求した作品もありました。
自らの生理に率直に反応して撮っただけ写真は、ともすればひとりよがりな表現になってしまう。それをどのように、他者と共有できる、社会との接点をもった表現にすることができるのか。新津保さんは、「視る私」や「表現する私」と過剰に戯れてしまうことの危険性と、写真の中にある、具象と抽象のあいだの無意識の痕跡を指摘します。「かけがえのない大切な私」が見た世界へのナイーブな思い入れを排して対象へ向かえたとき、多様な解釈と対話が生まれるのではと言います。一方、皆川さんは、自意識から逃げていくあり方、自己の中で閉じてしまうのではない、開かれたあり方によって、そこから逆に“自分”が出てくるのだと語ります。それは、皆川さんがつくる服が、それ自体では完結するのではなく、人が着て、そこに感情が生じて初めて表現となり、社会との接点があるところに着地できるということと重なります。
ひとりひとりの課題に対する皆川さんの講評の言葉は実に詩のように美しく、画面のすみずみのディテールを一瞬でとらえてしまう観察眼は、皆川さんの普段のお仕事への姿勢を髣髴とさせるものでした。
次回は、東浩紀さんをゲストにお迎えした「言葉を撮る」。課題は、2011年の終わりにふさわしく、ずばり「“ベクレル”を撮る」です。