新津保建秀写真スクール「見えないものを撮る」 第6回〈「言葉」を撮る〉 ゲスト:東浩紀
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毎回、異なるテーマのもとに受講者が撮ってきた写真をめぐり、多様な分野の第一人者をゲストに迎え、 ディスカッション形式で講座を展開します。夏には「大地の芸術祭」の里、越後妻有で合宿形式のワークショップも行い、 講座終了時には、全講座の成果を発表する展覧会を代官山のヒルサイドテラス内、ヒルサイドフォーラムにおいて開催します。
展覧会では、写真・美術・カルチャー・広告等の雑誌編集長によるレビューを実施し、年齢を問わない、新しい才能の発掘の場となることを目指します。
第6回はゲストに批評家、作家の東浩紀さんをお迎えし、ディスカッション形式で写真講座を展開します。
日時 | 2011年12月10日(土) 14:00-17:00 |
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会場 | ヒルサイドテラス アネックスB棟(東京都渋谷区猿楽町30-2) |
定員 | 25名 |
受講料 | 一般6万円 クラブヒルサイド会員5万円 学生5万円 ※第4回 1泊2日の宿泊費【朝夕食付】 終了レビュー参加費含む |
主催 | クラブヒルサイド |
協力 | 代官山スタジオ |
登壇者・講演者
新津保建秀
1968年生まれ。写真と映像による作品制作を行う。数多くの企業広告、音楽、映画、文藝、ファッション、建築の写真を手がけ、 異分野のクリエーターとの共同作業も多い。昨年手がけたものとして、日本郵便年賀状キャンペーンポスター、 「きこえる?School & Music」(文藝春秋/東京大学知の構造化センター pingpong project)など。 写真集に『記憶』(FOIL)、『夏*』(マドラ出版)、『Rugged TimeScape』(FOIL)。関連書籍に『建築と写真の現在』(TNプローブ)がある。
東浩紀
1971年生まれ。批評家、作家。早稲田大学教授。専攻は哲学、表象文化論。主な著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、サントリー学芸賞)『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、三島由紀夫賞)等。2010年末に「思想地図 β」を創刊、2010年代の思想シーンを牽引する。
関連シリーズ
新津保建秀写真スクール「見えないものを撮る」
ケハイ、音、時間、匂い、言葉…。視覚のメディアである写真は「目に見えないもの」をいかに写し撮ることができるのでしょうか。 異分野のクリエーターとのコラボレーションを始め、今もっともその活動が注目される写真家のひとり、新津保建秀が初めて取り組む写真講座シリーズが2011年5月スタートします。
毎回、異なるテーマのもとに受講者が撮ってきた写真をめぐり、多様な分野の第一人者をゲストに迎え、 ディスカッション形式で講座を展開します。夏には「大地の芸術祭」の里、越後妻有で合宿形式のワークショップも行い、 講座終了時には、全講座の成果を発表する展覧会を代官山のヒルサイドテラス内、ヒルサイドフォーラムにおいて開催します。
展覧会では、写真・美術・カルチャー・広告等の雑誌編集長によるレビューを実施し、年齢を問わない、新しい才能の発掘の場となることを目指します。
イベントレポート
ゲストは、その著書や活動スタイルが常に大きな話題を呼び、今最も注目される言論人のひとりである東浩紀さん。「after3.11の気配を撮る」からスタートした新津保写真スクールの最後の課題として東さんが提示したのは、ずばり「ベクレルを撮る」でした。震災のあと、さまざまな言葉の機能が変わるなか、ベクレルという言葉を媒介に、震災後の変化を捉えるような写真を撮ってくることが課せられました。
そこで問われたのは、現実に進行している“想定外”の事態を、私たちがどれだけ深く、強く、思考し、とらえるかということでした。ベクレルという「よくわかないもの」を視覚的に表現しようとする時、安易なイメージやストーリーは、その現実の強度の前にまったく意味をもたなくなってしまいます。
東さんは、ひとりひとりの受講生に対し、この課題にどれだけ真摯に向き合い、答えているかを問います。なぜそれを対象に選んだのか? その必然性は?その対象からどんなストーリーを引き出そうとしたのか?その対象と現実との距離感は?その対象は現実に裏付けられているのか?と次々に投げかける鋭い質問。「現代美術的ではない、事実を映す写真」という言葉に、実際に被災地に足を運び、その衝撃や体験をベースに言葉を編み出してきた言論人としての東さんの姿勢が見られました。
新津保さんからも、自分の環境や手法に負荷をかけ、これまでの自分の文体や想像力の枠を越えることの必要性が繰り返し語られました。行かないところに行ってみる、いつもの得意手を封じる、予測できないものに出合うことで、私たちは何かを越えることができるのだと。その言葉は、写真を越えて、私たちの生き方そのものにも通じるように思われました。
写真スクールの最後の授業。東さんの歯に衣着せぬ、痛快な講評は、受講生を時に打ちのめし、時に鼓舞し、修了展に向けた創作意欲を大いに掻き立てるものとなりました。