イベントレポート
評論家の三浦雅士さんをゲストにお招きし、三浦さんの処女作『私という現象』をめぐる10冊についてお話しいただきました。三浦さんは『私という現象』について「誰でも私になれる、誰もが入れ替え可能。名付けられ言葉の世界に入るという事、つまり歴史に入る事で入れ替え可能な人間が私になる」と語ります。
本当に面白かった。読んでいて止められなくなった」という岡田英弘『世界史の誕生』。度々出てきたのは“俯瞰する眼”という言葉。俯瞰する眼を持ったものが支配をし、その繰り返しが世界史の誕生につながったと言います。そのことを直感的に理解していたのが司馬遼太郎で、様々な作品を例に出しながら“俯瞰する眼”について語っていきます。
お話しは長谷川櫂『古池に蛙は飛び込んだのか』へと続きます。「『奥の細道』はフィクションでフィクションを作っており、それは映画の形であり、松尾芭蕉はシナリオを書いているのだ」と三浦さん。映画の中ではズームイン、ズームアウトの手法が多く使われており、それはつまり“俯瞰する眼”。そして“俯瞰する眼”、上から自分を見るということは誰でも日常的やっており、それは言葉の効果であり、芸能の本質だと言います。
お話は、さらに中原中也、萩原朔太郎へとつながり、「“俯瞰する眼”が鮮明なのは詩である。中に入り込んで登場人物になりきるという詩の構造自体が俯瞰だ」と三浦さんは言います。そして、それを小説で表現したのが吉田健一や丸谷才一で、『怪奇な話』『樹影譚』をご紹介くださいました。また 、牧野伸顕『回顧録』が面白いのは歴史の悲劇が描かれているところで、それは俯瞰する眼があるから生まれたと言います。
1冊の本をめぐり浮かび上がった“俯瞰する眼”というテーマ。そこから10冊以外にも多くの本をご紹介くださり、お話しは映画、バレエ、音楽、物理にまで及びました。本と本がつながり、知識や興味が枝葉のように拡がっていく面白さを体感することができたセミナーとなりました。